シンガーソングライターが彩る、「学園アイドルマスター」の音楽

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お世話になってます。

気が向いたら、、でやってるとどうしても定期的な更新、っていうのができないのはもう仕方ないのかな…なんて思ったりもするのですが、、ただただ。今回、どうしても想いを書き残しておきたい音楽に出会うことができたので、書き起こすことにしました。

「学園アイドルマスター」

アイドルを養成するための学校「初星学園」を舞台にアイドル候補生をプロデュースするという、バンダイナムコのロングセラーIP「アイドルマスター」シリーズの最新作。アイドルマスターとして初の試みである「学園モノ」という舞台設定、個性豊かなキャラクター設定などでアプリリリース以前から大きな注目を集めています。

そんな学園アイドルマスターですが、その中で特に力を入れている点が音楽。全ての楽曲をバンダイナムコの自社レーベル「ASOBINOTES」がプロデュースし、「人マニア」「イガク」などの楽曲で一躍インターネット音楽シーンの台風の目となっている原口沙輔、「コネクト」「crossing field」など10年代を象徴するアニソンを数多く手掛け、現在はアイドルユニット「CYNHN(スウィーニー)」のプロデュースも行う渡辺翔、同じくASOBINOTESがプロデュースする「電音部」にも楽曲提供し、海外人気も高いトラックメイカー・Moe Shopなど、バラエティ豊富な作曲陣を迎えており、新たな客層へのリーチを視野に入れていることが伺えます。

初星学園「Official Music Video」プレイリスト

5/1から9日連続で現在公開されているプレイアブルキャラクター9人のソロ楽曲のMVが公開され、5/16のアプリリリースと同時に配信をスタートする予定となっています。どれも期待を裏切らない、あるいはその期待すらを上回ってくれる仕上がりで、ローンチをますます楽しみにさせてくれるものでした。クリエイティブへの投資を惜しまない姿勢、何よりコンテンツへの信頼につながるんですね。

そんな個性豊かな9人の曲を聴いて、ひとつとても興味深いと感じる部分があったので、今回はそれについて深く考えていきたいなと思いました。それがこちら。

シンガーソングライターの提供楽曲と、職業作曲家・トラックメイカーの提供楽曲で、アプローチの仕方が違いがあるのではないか?

ということです。

もちろん細かく見ていけば当然全てアプローチの仕方なんて違うんですが、大まかな区切りをした時明らかに自分が差を感じたのはここでした。その「シンガーソングライターが提供した曲」は2つ。

月村手毬「Luna Say Maybe」

篠澤広「光景」

この2曲について、なぜこの2人にシンガーソングライターの曲が割り当てられたか、そしてアーティストを紐解くことで見えてくるキャラクターの新たな一面だったり、「シンガーソングライターがアイドルに楽曲を提供する」ということの意義なんかについても考察をしてみたいと思います。

※注意!
ここから先の内容はかなり主観が入ります。筆者はこれまでの人生でアイドルマスターを通ってこなかった人間なので、アイドルマスターの文脈から見たら的外れな考察となっているかもしれませんが、ご容赦ください…目に余ったら閉じてもらって大丈夫です。。

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提供アーティストについて

キャラクターについて見ていく前に、まずは今回楽曲提供したアーティストの紹介からしていきましょうか。。

「Luna Say Maybe」作曲・美波

まず、「Luna Say Maybe」を作曲したのが美波。高校生から活動を開始し、2018年にYouTubeに投稿された「ライラック」が一躍話題になりました。翌2019年にはアニメ「ドメスティックな彼女」主題歌「カワキヲアメク」でメジャーデビューし、同曲は現在までに再生回数2億回を超える大ヒットを果たしました。そして今年3月には自身初となる武道館でのワンマンライブを敢行。「Luna Say Maybe」は自身初の他アーティストへの提供楽曲となっています。

本人曰く「絶対に意志は曲げない頑固者」。一貫して「自分」という存在を音楽を通して表現するアーティストとしての在り方がデビュー以前から熱烈に支持され、今に至っているように思います。

美波が持つアイロニカルな批評性 新世代シンガーソングライターの“詩人”としての才能を読む
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「光景」作曲・長谷川白紙

続いて「光景」の作曲は長谷川白紙。2016年より活動を開始し、2018年に1stEP「草木萌動」をリリース。2020年にはアメリカのDJ/プロデューサー・Porter Robinson(ポーター・ロビンソン)が主催したオンラインフェス「Secret Sky」に日本からkz(livetune)Kizuna AIと共に出演。その才能を世界へと示しました。

昨年にはアメリカのHiphopアーティスト・Flying Lotus(フライング・ロータス)が主宰するレーベル・Brainfeeder(ブレインフィーダー)と契約し、先日ニューアルバム「魔法学校」のリリースを発表。エクスペリメンタルにも通ずる精緻なアレンジの中にキャッチーさを織り交ぜ、常に音楽表現の新たな可能性を追求し続けるアーティストです。

長谷川白紙のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第11回
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楽曲について ~アレンジ・演奏など~

Luna Say Maybe

Luna Say Maybeの楽曲の魅力としては、曲そのものもさることながら、演奏陣の顔ぶれも錚々たるものとなっています。まず共同アレンジャーとしてEGO-WRAPPIN’のサポートベースなどで活躍する真船勝博を迎え、ドラムにはtoeやthe HIATUSのドラマー・柏倉隆史、ピアノにはインストゥルメンタルバンド・Schroder-Headz(シュローダーヘッズ)としても活動する渡辺シュンスケ、ギター・ベースはそれぞれ美波のインディーズ時代からライブをサポートしてきた大塚巧難部一真が担当。ストリングスアレンジは「君の名は。」「天気の子」の劇伴をオーケストレーションで支えたチェリスト・徳澤青弦、ホーンアレンジはトータス松本や星野源のサポートで知られる名サックス奏者・武嶋聡という、音楽ファンであれば誰もが唸る凄まじい人選となっています。

そして特筆すべきは、別にアイドルマスターだからこの面子が揃ったというわけではなく、全て美波自身のサポートメンバーである、ということ。先日の武道館ライブも先述したバンドメンバーで開催されています(ベースは現在活動休止中の難部氏に代わり真船氏が参加)。これを踏まえると、他の楽曲についても作詞・作曲以外の人選については全て依頼したコンポーザーに一任しているものと考えられます。

また徳澤氏、武嶋氏両名も過去楽曲に参加したことがあり、それが「この街に晴れはこない」という曲。ダウナーなメロディに箏と二胡、サックスの旋律が加わり華やかに染め上げる、非常に聴きごたえのある楽曲です。

ただ、弦・管楽器ともに大編成を従えた楽曲というのは、美波のこれまでの曲を振り返っても今回が初。「アイドルソングを制作する」というのは本人にとっても新たなチャレンジであったとともに、月村手毬というキャラクターに並々ならぬ愛情・想いを込めて曲を書いてくれた、その結果であるように思います。

光景

長谷川白紙が作るアイドルソング、という時点で何かとんでもないものが来る、というのは分かっていましたが、まさしくその通り。そしてその方向性は勿論いい意味で、大きく期待を裏切ってくれました。

一部の界隈ではプレミア公開以前からざわついていたのですが、今回この楽曲のオーケストレーションを担当したのが、ブラジル音楽における巨匠・Arthur Verocai(アルトゥール・ヴェロカイ)。ボサノヴァにルーツを持ち、1972年に自身の名を冠したアルバム「Arthur Verocai」をリリース。近年では2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式にて音楽を担当したほか、HIATUS KAIYOTE(ハイエイタス・カイヨーテ)の楽曲「Get Sun」に参加するなど、実に50年以上の活動歴を誇るまさにレジェンドです。

天才・長谷川白紙と巨匠・Verocaiの手によってアイドルソングとして唯一無二の世界観を持った「光景」。アレンジにおいて特筆すべき部分として、コントラバス、チューバ、ファゴットといった低音楽器を編成していない、という点があります。下支えする低音による重厚感を排除し、オーケストラでありながら軽快な印象を与えている、この斬新なアプローチが篠澤広というキャラクターをさらに引き立たせているように思います。

「トップアイドルになる」は、全てではない

さて、長々とアーティストの曲について喋ったところで、本題に入っていきましょうか。今回の本題は曲からキャラクターを紐解いていくことです。

なぜ、この2人はシンガーソングライターを選んだのか。

単に話題性狙いで片付けてしまえるなら簡単な話です。ただ実際はそうではない。これは後述しますが、シンガーソングライターにアイドルの曲を書かせるというのは相当な覚悟がないとできないことです。ましてや1曲目。そこにどんな狙いがあったのか。それについて、1つの仮説を提唱させてほしい。

「トップアイドルになる」以上の、叶えたい願いを持っているのではないか

勿論、誰もが「トップアイドルになる」以外の叶えたい願いはあって、そしてそれぞれ形は違うはずです。しかし、この2人については、そのもう一つの願いの順位が、「トップアイドル」というもの以上に優越するものなのではないか、ということです。

月村手毬であれば、紹介PVの中でこんな台詞がありました。

「誰もが認めるトップアイドルになることです」

一見すれば、トップアイドルになることが目標のように思えます。しかし、ここで大事になってくるのは「誰もが認める」の部分。プロフィールには次のように書いてあります。

嫌いな自分と決別し、自分自身を好きでいるために、トップアイドルを目指している。

https://gakuen.idolmaster-official.jp/idol/temari/

ここで、もう一度最初の台詞を見てみましょうか。そう、この「誰も」の中には

自分自身も入っている、そう捉えることができるはずです。手毬の場合、「嫌いな自分と決別する」、そのための手段として、トップアイドルを目指している。

これが篠澤広というキャラクターだともっと極端になってくる。

「アイドルになるのは夢じゃない…と思う。強いて言えば…趣味、かな」

上手くいかないことがしたい、そしてその一番向いてなさそうなのが「アイドルを目指すこと」だった…という、まぁ根っからの狂人。まだ何もわかっていないのでこれも憶測なのですが、規定された未来ではない、全く違う自己の可能性の追求、彼女にとってこれこそが至上命題なのではないかと。だいぶ形は違いますが、「トップアイドルになる」以上の願いがある、という点では共通していると考えるのは、無理のある考察ではないような気がします。

重なり合う、キャラクターとアーティスト

そしてそんなキャラクター性を強く支えているのが音楽。シンガーソングライターのアイドルへの楽曲提供は、「アイドルが持つ個性」と「シンガーソングライターの音楽性」に共通項が生まれることで、初めて成り立つものだと思います。

先述のアーティスト紹介で、美波のことを「一貫して『自分』という存在を音楽を通して表現するアーティスト」という風に紹介させていただきました。その中には嫌いな自分とも向き合い、「それでも私は私だ」というメッセージをリスナーに強く訴えかける楽曲も数多くありました。

ひとつだけ ひとつだけ
ひとつだけ ひとつだけ
僕がここにいる証明を
僕にしか 僕にしか
僕にしか 僕にしか
できないことの証明を

美波「main actor」より

泣いて 傷ついて
もう息をすることにも嫌になって
多分そうきっと 今もずっと 逃れる為の言葉探してさ
ああいいかな もういいかなって
こんな僕じゃダメなのでしょう

美波「Prologue」より

自分自身を好きでいる為にアイドルを目指した手毬と、歌を通して自分自身を認めてあげようとした美波。そんな2人の人生が交わって生まれたのが「Luna Say Maybe」じゃないかな、と、そう思っています。

どうか、正⼼正銘のこの思いが
君の⼼(ところ)にちゃんと届くまで
ここで、私、全⼼全霊で歌うから
待ってる、待っている
だから、この場所を ⼤切にしたいの!

「Luna Say Maybe」より

そして、この歌詞は、手毬というキャラクターを表していると同時に、美波自身の、噓偽りない言葉だと思います。

実は3月の武道館公演には自分は足を運んでいました。その最後のMCで、誰よりも正直に生きてきたということ、そして、これからも音楽を通してメッセージを届ける、見たことのない景色を見せる、という思いを語ってくれた。この歌を聴いて、あの日のあのステージを重ねないことは自分には出来なかった。そして、美波と同じように正直に生きて、自分という存在と必死に向き合う手毬を応援しようと心に決めました。

<ライブレポート>美波が初の武道館公演、デビュー5周年の節目 | Daily News | Billboard JAPAN
 美波が、3月30日に【美波「JOYINT in Nippon Budokan」】を日本武道館で開催



また、篠澤広と長谷川白紙、この2人にも今の考察から共通している部分があります。
それが、飽くなき自己の探求者である、ということ。

長谷川白紙自身の曲にも、「光景」のように自らの視界が捉えるものを独自の感覚で言語化したような音楽があります。それが、1stEP「草木萌動」に収録されている「毒」という曲。

水面 照らし合わせて
毒を含み 息に合わせ
見えても見えなくても
光で僕が作る美貌

長谷川白紙「毒」より

この曲の歌詞を改めて見て、まるで得体の知れない恐ろしいものに対して、そこに自ら触れに行って、それを楽しんでいるかのような狂気を感じることができる。先入観でそう読んでしまっているだけなのかもしれませんが…

で、これを踏まえて、改めて「光景」の歌詞を見てみたい。

見えてるずっと先で 選んだときから
目のおくがふるえて 呼ばれる
明るくて熱くて ひどく賑やかな
わたしの景色で
ふるえて 選ぶ

「光景」より

天才であるが故に、常人には見えないものまでもが見える。常人では感じ取れないものを感じ取れる。篠澤広というキャラクターの持つ感受性を理解し、その感受性の下で自己の視界を言語化し、音楽に落とし込む。この芸当は、同じ天才としての感覚を共有できる長谷川白紙にしかできないものだったと思います。

彼が新たな自己の音楽性を開拓していくように、篠澤広もまた、アイドルという「趣味」を通して普通に歩んでいれば気付くことのなかった自分の新たな一面に気付いていくのかなと思います。今はただ、その過程から目を離したくない。

おわりに ~「強い楽曲」が持つ「脆さ」~

とんでもない怪文書にここまで付き合ってくれた皆さんありがとうございました。学園アイドルマスターの楽曲について、アイマスPとしてではなく、楽曲提供者のファンという立場からの考察長文を書きました。

最後にひとつだけ。考察の中で、「シンガーソングライターにアイドルの曲を書かせるというのは相当な覚悟がないとできない」という話をしました。それがどういうことか説明させてください。

まず、本来、アイドルとシンガーソングライターというのは対極の存在です。アイドルって本来の意味は「偶像」ですよね。だからそう振舞う義務がある。「辛く苦しいこと」というのは表に出してはいけない。ステージの上では「完璧な存在」を演じなくてはならない。でもシンガーソングライターは違う。シンガーソングライターははっきり言って、等身大の存在なんです。嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、その全てを歌として届ける存在なんです。だからそもそも曲の作り方が、根本から正反対。

もう一つが職業作曲家との違いです。職業作曲家は提供先のアーティストに世界観を寄せるのが仕事なのに対し、シンガーソングライターやバンドマンは自分の曲を作る、つまりより固な自己の世界観を作るのが仕事です。つまりアイドルの色=作曲者の色になってしまう可能性をより強くはらんでいる。特に今回の場合1曲目なので、よりその傾向は強いわけです。

もちろん制作陣がそんなことを理解していないわけはないので、この次の曲がどう出るかというのも個人的にはかなり楽しみなわけです。正直、最初でほぼ最適解の組み合わせを出してしまった以上、次の曲で「この組み合わせもありだ」と思わせるのはかなり難しい気がします。それでもやってくれると信じて、この次の曲をどうアプローチしてくるか、期待したいです。

さて、本リリースまでもう1週間切ってますね!!!今回月村手毬と篠澤広のことを熱弁したからと言って、ちゃんと全員のことが分かるまで誰推しになるか本当にわからないです。なので早くキャラを知っていきたいし、この記事の答え合わせもできればな~と思ってます!というわけで、今回はこの辺までで!お付き合いいただきありがとうございました!!!

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